HeartBreakerU 10
人気のない昼間、一人で道を歩いていた千鶴は不意に沖田がそう言ったときのことを思い出して、小さく笑った。
考えても考えても出口の見えない暗いトンネルの中で、千鶴は沖田を失うかもしれないという恐怖と人類の将来に対する責任で押しつぶされそうだった。それに穴を開けたのは、沖田のあっけらかんとしたこの言葉だった。
一週間ほど前、血の発作がなんとか収まり、千鶴の膝から頭をあげた沖田は、まだ血のあとがかすかに残る口の端を手の甲でぬぐいながら『未来へ行こう』と言った。綺麗な緑の瞳に強い意思がキラキラと光る、挑むような瞳。
千鶴は、一人で歩きながら笑ったりしたら変に思われてしまうと慌てて真面目な顔をした。
平日の昼下がり、少し奥まったところにある千鶴たちのマンションの周りには、通行人はまったくいなかった。組織は当然、今の千鶴をどこからか見ているに違いない。
緊張を隠すために、千鶴は敢えて今の状況とは違うこと――『未来へ行こう』と沖田が前に言ったときのことを考えようとしていた。
『薫が親切にもエネルギーを補充してくれたタイムマシンを奪って、僕がもといた未来へ帰る。君と一緒にね』
最後の『君と一緒にね』と言いながらバチンときれいにウィンクを決めた沖田を思い出して、千鶴の耳は勝手に熱くなった。
ずっと一緒にいても、彼の存在にはなかなか慣れないのだ。
その時マンションの影のワゴンから、黒いスーツを着た男たちが三人、バラバラと駆け寄ってきた。
「……!」
声をあげようとした千鶴の口に、一人が後ろから布を押し当て、もう一人が千鶴を抱える。千鶴は抵抗する間もなく抱え上げられて、ワゴンに乗せられてしまった。
通行人もおらず監視カメラからも死角。沖田が予想したとおりの場所だ。
目隠しをされて急発進をしたワゴンの中で、千鶴は深呼吸をしながら、あの時の沖田との会話を思い出して、落ち着こうと努力していた。
『未来には君を追い回す実の兄も組織もないよね。それに僕が未来の仲間のところに送った君の血から羅刹の治療薬ができていたとしたら、僕も治る』
沖田にとっては三回目のタイムトラベルになると心配する千鶴に、沖田は『大丈夫』と明るく言った。
『羅刹になったおかげでもう治ったよ。だってほら、羅刹の血の発作は起こすけど、もう血を吐いたりはしてないでしょ? 疲れないし内臓も痛くないし。あとはこの羅刹だけ治って人間に戻ることができれば万々歳。そしてそれは未来に行けば可能なんだ』
あのタイムマシンにフルでエネルギーを充填するのなら、計算上は沖田と千鶴二人が二十年後に片道で行くことは可能なはずだ。
『……ほんとうですか?』
また嘘を言って千鶴だけを助けるために安心させようとしているのではないか。本当は沖田の体調は良くなっていないのではないかと千鶴が疑わし気な顔をすると、沖田は朗らかに笑った。
『ほんとほんと。これはほんとだよ』
そしてふと穏やかな表情になって千鶴を見つめる。
『……今までは、先を望んだことなんてなかったから』
ぽつりとつぶやかれたその言葉に、千鶴は目を見開いた。
『別に死に急いでたわけじゃないし、それほど無茶な生き方をしてきたつもりもないんだけど……。結局今までの僕は、先のことなんて何も考えていなかったんだ。その場その場でなんとかこの場を切り抜ければって……それしか考えてなかった。でも君と出会って……好きになって』
沖田はそう言うと、いたずらっぽい瞳で千鶴を見る。千鶴は赤くなった。
『未来のために……君との未来のために戦うようになった』
『沖田さん……』
沖田は微笑む。
『だからさ。タイムトラベルの話や僕の体調の話はほんとだよ。どんな苦難が待っていても、二人で乗り越えたいって思うんだ。だからほんとのことしか言ってない』
そう言って千鶴の目を覗き込んできた沖田の緑の瞳は、まっすぐに二人の未来を見つめていた。
車の中でのけたたましい着信音で、千鶴の物思いは破られた。目隠しをされているので車の中の状況はわからないが、外国語での会話と、どこかに電話しているような声が前の座席からしている。ナビの案内音声も外国語だ。トップスピードのまま角を曲がる荒い運転に、千鶴は車の窓に頭をぶつける。
『未来に行く』という沖田の言葉に一瞬脳裏に薫の顔がよぎって、千鶴は返事が出来なかった。
沖田はそれを察したようだ。
『話してごらん。……君は、どうしたいの?』
『私、は……』
憎しみに満ちた瞳で嘲るようにこちらを見てきた兄。
薫が沖田に飲ませた変若水。
あの狭い研究室に閉じ込められていた間の実験結果の束。
組織に千鶴を被検体として渡すことを拒否し、変若水と羅刹を使って世界の支配者になるため過去に行くという言葉。
『薫にされたこと、忘れたわけじゃありません。でも……それでも薫は私の兄なんです』
幸せに愛されて育ってきた千鶴。辛い目にあっても沖田が助けてくれた。でも、薫には長年積み重ねてきた怨みや怒りを、癒してくれる人はいなかったのだ。双子のうちどちらに変若水が投与されるかは本当に運だった。薫の運命は、一歩間違えれば千鶴自身の運命だったかもしれない。自分が薫のような運命をたどったとき、幸せに育った生き別れの兄を組織から守ってあげようと思うことができるだろうか。同じ苦しみを味わえばいいと、恨みで塗り固まった思考で、薫を攻撃していたかもしれない。
『君は、薫と一緒に生きたい?』
沖田の質問に、千鶴は答えられなかった。
過去に戻って綱道を殺し、変若水と羅刹をコントロールして世界を支配する……そんなことは望んではいない。だが、ここで薫を見捨てて沖田と二人で未来に行くと思い切ることもできなかった。
あとに残された薫はどうするのか。
沖田と千鶴にタイムマシンを奪われてしまえば、過去に行くこともできず、血の発作に苦しみ、刻々とせまる理性の寿命に怯えながら一人で生きるのだ。組織の中で、被験者として。
でもこのまま現代に千鶴と沖田がいても未来がないことはわかる。
黙り込んでしまった千鶴を見て、沖田は淡い笑みを浮かべた。
『前にも言ったよね。僕は君の願いを叶えたいんだ』
『え……?』
『君が心から望んでいるのは、薫の築く羅刹の王国の支配者になることじゃないだろう? 変若水や羅刹から離れて、普通の女の子として暮らしたいと思っているんじゃないの? 僕もそうだよ。普通の男として君と普通に一緒に暮らして普通に喧嘩して笑い合ったりして普通に生きていきたい』
沖田の言葉で千鶴の脳裏に二人で描く幸せな未来が広がる。そして、そんな幸せな光景に、千鶴の瞳に涙がにじんだ。
『私は……私も、そんな風に暮らしていきたいです』
『これまで苦しい思いをしてきたあの薫が、今このタイミングで自分の考えを変えるとは思えない。君は……選ばなくちゃいけないんだ。僕か薫かね』
心を引き裂かれながらも、千鶴は沖田を選んだ。
今、組織の車にこうして乗せられているのがその証だ。
薫の望む理想の世界が羅刹の支配する国である限り、薫を選ぶことは千鶴にはどうしてもできなかった。
千鶴が組織にこうやって一人でさらわれるというのは沖田の計画で、それは計画通りに進んでいる。
薫がいる場所がどうしてもつかめなくて、沖田が考えた策は、危険だが、千鶴がおとりになって組織に捕まるという作戦だった。
組織にさらわれた千鶴には、必ず薫が接触してくるはずだ。そして薫は、あのタイムマシンを必ず自分で保持しているに違いないと沖田はふんでいた。薫に、あれを預けるだけ信頼している人間がいるとは思えない。
ガタンと大きく揺れて、千鶴は再び頭を車の窓ガラスにぶつけた。
「痛っ…!」
どこに連れて行かれるのかわからないが、沖田が追ってきてくれているはずだ。そしてタイムマシンを奪う戦いに勝利して、二人で未来へと飛ぶ。
今のうちに休んでおいた方がいい。
まだしばらく続きそうなドライブに、千鶴は強いて瞳をつぶって眠ろうとした。
薫が千鶴のもとにやってきたのは、夜もかなりふけた頃だった。
車の中でなんとか寝ようとしてしばらくうとうとして四時間程。ようやくどこかに到着して下ろされ、閉じ込められた部屋はパイプベッドとシンプルな机と椅子だけの、簡易施設のような場所だ。枕元の電気スタンドだけが灯っていた。
今、何時だろう……
ここはどこ?
千鶴のつけているネックレスが発信機になっていて、沖田は千鶴の居場所を把握しているはずだ。でも、今自分がどこにいるかは知っておきたい。千鶴がきょろきょろと暗い部屋の中を見渡していると、扉が静かに開いて薫が入ってきた。
「薫!」
薫の表情は固い。千鶴の呼びかけにも無反応で、ドアを後ろ手に閉めた。
「こ、ここはどこなの? 私は……」
薫は千鶴の問いには答えず、冷たい瞳で彼女を見ている。
「……全く何を考えているのかな。マンションが見張られていることぐらい普通わかるだろう? どうせまた沖田の言いつけを無視して勝手に行動したんじゃないのか」
叱るような言葉に、千鶴は黙りこんだ。実際には沖田の指示で罠をはるためにわざと一人でマンションのあたりをうろついていたのだが、それを薫に言うわけにはいかない。
「……反省して、ます」
千鶴がしょんぼりしたフリをしてそう言うと、薫はため息をつく。
「前にお前をさらった高級ホテルならともかく、いくら俺でもここからお前をこっそり連れ出すのは無理だよ。このままじゃあお前、アメリカに連れられて組織の被験者になるしかなくなるぞ」
「こ、ここはどこなの?」
組織の一員である薫でも、千鶴を連れて抜け出すことができないなどという場所は一体どこなのか。
薫は舌打ちをした。
「米軍基地だよ」
「米軍基地……」
千鶴は目を見開いた。予想では市内、もしくは県外のホテルに薫の組織の本拠地があるのではないかと推測していたのだが、まさか米軍基地とは……。沖田は忍び込むことができるのだろうか? 高級ホテルよりもセキュリティがきついのは容易に想像できる。もし沖田が間に合わなければ、千鶴はこのまま……
「今、日本近海に、米軍の空母が来てるんだ。この基地からお前を空輸ヘリにのせて空母に運んでしまえば、パスポートも出国手続きも何もなしにお前をさらうことが可能なんだよ。お前は神隠しにあったみたいに、日本でもアメリカでも存在してないことになる。ったく! 自分の妹の馬鹿さに呆れるね」
「薫……」
沖田の想像よりも事態が深刻なのは、薫の切迫した様子を見ればわかる。今夜か明日か……千鶴はすぐにでも移送されてしまう予定なのだろう。
「薫も、アメリカに帰るの……?」
薫は冷たい瞳で千鶴を見る。
「お前は空母に乗せられたら終わりだよ。変若水を投与されて『血のマリア』になる。そしてそれが『変えることができない事象』になってしまう。そうならないためにはその前に……しょうがない、まだ準備が完璧じゃないけどやるしかないだろう」
「やるしかないって何を?」
薫はきつい視線で千鶴を睨んだ。
「……過去へのタイムトラベルだよ」
千鶴は息を呑む。
「か、薫、だめだよ。そんな……危険だし、それに世界を支配するなんてそんなこと薫はしたいの?」
千鶴がそう言うと、薫は鼻で笑った。
「お前のお綺麗な発想には驚くね。綱道がお前を使って何をしようとしていたのか知ってるんだろう? あいつらが子供の俺に何をしたかももうわかってるんだろう? 弱い者はいつの時代も虐げられるんだ。虐げられたくないなら、自分が強くなって虐げる側にまわればいいんだよ!」
「薫、私は羅刹の支配する世界なんかいらない。誰かを傷つけてつくる王国なんていらない!」
言い返した千鶴に刺激されたのか、薫の言葉も激しくなった。
「そしていつも傷つけられて泣いて許しを請う惨めな人生をおくるのか? 俺はもうそんなのはうんざりなんだよ!運命を変えるタイムマシンを俺は手に入れた。すべての間違いの大元から変えてやる。過去を変えれば今のこの惨めな現在も変わる。このまま狂って行くのを待つのはたくさんだ!」
薫は吐き捨てるようにそう言うと、つかつかとベッドに座って目を見開いている千鶴の前へと歩いてきた。そして彼女の目の前に自分の手を広げる。
「この手が見えるか? 何色に見える? 俺には真っ赤に見えるよ。滴る血が見えるんだ! 洗っても洗っても取れない!」
激しい薫の言葉に、細かく震えている彼の肌色の手。千鶴は薫の激昂に驚きを隠せなかった。そっと手を伸ばして薫の手に触れる。
「か、薫……。血なんてついてないよ。大丈夫……」
薫は熱いものでも触れたかのように、勢いよく千鶴の手を払った。
「ついてるんだよ! もう数え切れないほど殺した。母さんが死んだのだって俺のせいだ。同じ研究所の仲間も変若水を飲んで狂った。人を殺せば殺すほど俺は狂っていってるんだ! だから忘れたいんだよ! 忘れたいのに忘れられない……! 絵本の言葉は思い出せないのに、思い出したくないことばかりいつまでも夢に見るんだ!」
「夢に……え、絵本……?」
千鶴の言葉など聞こえていないかのように、薫はぎらぎらと目を光らせてのめり込むように話している。そして両手を見ながら言う。
「そう、千鶴は……千鶴はほっぺが赤いからよく笑うあかちゃんで、俺は……すやすや眠るあかちゃんは……思い出せない……なんだった? 神様からもらったもの……」
千鶴はハッとした。
これはあの絵本の言葉だ。
千鶴が唯一覚えている、子供の頃の母の記憶の中にある絵本。薫の育った研究施設の部屋の本棚にあった絵本。
「薫……」
千鶴が震えながら薫の手を握ったその時、バタンと大きな音がして扉が開いた。
驚いた千鶴と薫が同時に部屋の扉を見ると、そこには銃を構えた沖田が立っている。
「沖田さん!」
右手に銃を構え、左手には黒いものを……タイムマシンを持っている。
「沖田……お前、どうやってここに……」
薫が呆然としてそう呟くと、沖田は肩をすくめて部屋に入ってきた。そして千鶴を見た。
「一応君がここに連れてこられることは想定内だったからね。めぼしいホテルを全てあたっても外人の集団が泊まっているという情報は見つからなかったし、アメリカ大使館か米軍基地かなって。その先の行動の自由度から考えれば多分基地だろうとは思って準備はしてたんだ」
薫は立ち上がると、沖田が侵入してきているにもかかわらず静かなままのあたりを見渡した。
「どうして誰も来ないんだ? お前……何をした?」
「別に大したことは何も。指揮系統がしっかりしている組織って楽だよね。命令さえ捏造すれば、みんな理由も聞かずに素直に従ってくれる。さすがに米軍の通信システムに侵入するのは骨だったけど。君のお仲間はみんな、二時間ほど前に輸送ヘリに乗って北海道の航空自衛隊基地へと移動しちゃったよ。帰ってくるのは来週かな」
「……」
立ち尽くす薫を楽しそうに見ながら、沖田はさらに続ける。
「それに、君が拾ってくれたタイムマシンも返してもらったよ。エネルギー補給してメンテまでしてくれてありがとう。タイムトラベル先の設定が、僕たちが行きたいところとはちょっと違ってたからそこは直させてもらったけど」
沖田が左手に持っているタイムマシンを少し持ち上げてそう言うと、薫の眉間のシワは深くなった。
「お前たちが行きたいところ? ……まさか……」
「そう。未来に帰る。君の妹もつれて。……千鶴ちゃん、こっちにおいで」
沖田がそう言って手を差し伸べると、薫が手を広げて千鶴が立ち上がろうとするのを遮った。
「……そうか、未来にね……逃げるってわけ?」
「そういうこと。ほら、いつまでも妹離れできないお兄ちゃんは嫌われるよ? 千鶴ちゃんを離してもらえないかな」
沖田はそう言うと、カチャリと音をさせて薫に向けている銃の安全装置を外した。そして静かに言う。
「千鶴ちゃん、こっちにおいで」
「沖田さん……」
銃に狙われているにもかかわらず、千鶴を遮ぎる腕を下げない薫を見ながら、千鶴はどうしようかと戸惑った。その時薫が突然笑い出した。
「あっはっはっはははは! くくくっ…! ……なるほどね、妹を連れて未来に逃げるんだ? こずるいお前の考えそうなことだよ、沖田!」
「……なんとでも。これは脅しじゃないよ」
沖田の声と共に銃声が部屋に響き、薫の後ろにある椅子の背の部分が破裂音と共に弾きとんだ。
「沖田さん!」
千鶴の悲鳴にかぶせるように、薫の狂ったような笑い声が響く。
「あっはっははは! 面白い! 撃ってみればいいじゃないか。どうせ俺には効かないよ? 変若水を飲んだ適合者なんだからね! 千鶴は渡さない。渡して欲しいのならお前の持っているタイムマシンと交換だ!」
薫はそう言うと、千鶴の腕をぐっと掴む。
「すぐ治るにしても吹っ飛ばされた腕を修復するには時間がかかるんじゃないのかな?」
沖田はそう言うと、千鶴がいるのと反対側の薫の腕を狙って銃を発砲した。
「薫!」
千鶴の悲鳴と同時に、薫の体は銃で撃たれた反動で後ろによろけた。だが千鶴の腕は離さない。薫の右半身は吹き出る血で真っ赤に染まった。しかしみるみるうちに吹き出る血は止まっていく。
「薫、離して! このままじゃダメだっていうのは薫だってわかってるんでしょう? 前に私の血を取ったって言ってたよね? あれで薫の羅刹を治す研究をして。過去に戻って薫が羅刹の国の支配者になるなんて考えは捨てて!」
千鶴はそう言って、腕をひねって沖田の方へ行こうと沖田へ向かって手を伸ばす。
沖田が千鶴の動きに注意を取られたとき、薫がスーツの懐から素早く銃を取り出した。
「沖田、教えてあげるよ。羅刹は普通の鉛弾じゃ死なない。羅刹を殺すには銀の弾を使うんだ!」
三発の銃声。
一発は沖田が薫を狙ったもので、狙いは逸れて壁にめり込む。
二発は薫が放った銀の弾。沖田の脇腹と肩にあたった。
「沖田さん!」
撃たれた反動で沖田は壁に体を打ちつけた。
「ぐっ!」
喘ぐような声が沖田の口から漏れる。緑の瞳をすがめて苦しそうに体をかがめる。
その時、青白い閃光が沖田の左手から放たれた。
空気を震わすような重い振動と、どこからともなく吹き付ける風。空気の動き。
千鶴はハッとした。
撃たれた衝撃でタイムマシンが作動してしまったのだ。沖田も気づいたようで、撃たれた苦痛の中で千鶴を見る。
「ち、千鶴ちゃ……こっちに……」
沖田が手を伸ばし、千鶴もその手を取ろうとしたが、反対側の手を薫に引かれた。
「だめだ、行かせない!」
「薫! だ、だめ! 沖田さんが……」
薫に撃たれた沖田の傷は、薫の時とは違い血を流し続けている。あふれる血は沖田の服を染め、腰をつたい床にまで雫がしたたっていた。そしてそんな沖田を包むように、青い光が円をぼんやりと形作っていく。
「どうして……どうして血が止まらないの? 羅刹なのに……沖田さん!」
あの勢いで血が流れ出し続けたら危ないことは、医学の知識のない千鶴でも本能的に分かった。薫の手を振り切ろうとしてもがっしり掴まれて話せない。
止血をしなくちゃ!
ううん、でもその前にタイムマシンの起動を止めて……止めれるの? 止めれなかったら……
ウランペレットを直接詰めたタイムマシンは、燃料部分が壊れて一度使ったらもう使えないと薫は言っていた。
ここで冲田だけ未来に行ってしまったら、千鶴はもう二度と彼には会えないのだ。
あの沖田を包む青白い光の円の中にある物質が、未来へと転送されるのだろう。沖田の焦った顔から、もうすぐタイムマシンの起動が完了しそうなのがわかる。
「薫、お願い、離して! 沖田さんと一緒に行かせて!」
千鶴が振り向いてそう言った時の薫の表情を、千鶴はきっと一生忘れないだろう。
あの表情を見て、千鶴は全てを決めたのだ。
薫は哀しそうな顔をしていた。
一人で置いていかれる子供のような途方にくれた顔を。
そして薫は、掴んでいた千鶴の腕を離した。
そこからの出来事は全て一瞬だった。
キーンと空気を震わす振動が高周波にかわる。青い光がどんどん眩しく、白くなっていき、風も強くなる。
千鶴は薫の腕を掴むと、思いっきり沖田の方へと押し出した。
突然の千鶴の行動に驚き振り向いた薫の顔。
そして沖田の見開いた緑の瞳。
どちらも青白い光の膜に包まれたと思った次の瞬間、千鶴の目の前から消えた。
それが千鶴の見た二人の最後の姿だった。